あれから1年・・・。
あの日、2011年3月11日は、
多くの人の人生や生き方を変えたと思います。
ニュースを見るたびに涙があふれ、
でも何もできず、
自分の無力さに思い知らされ・・・。
そしてまた、多くの人が元に戻ろうと、
もがきながら懸命に努力していると思います。
もがくことさえできない事も・・・。
先も見えず、本当に疲れた・・・。
つらい時に、ユアンに言われました。
「あの日を思い出してごらん。
大変だったけど家族の無事を確認した時どうだった?
何が一番大事か分かったでしょう。
今、自分のそばに、
その大事な家族が無事で一緒にいるでしょう。
すごく幸せなことです。
だから、大丈夫です。」
あの日、
私は益子陶芸美術館の職員として働いていた。
あの時、
震度6強に地震の中、
家族の事が心配だった。
停電、水道も止まり、電話も不通。
カーラジオからは津波の報道がパニックのような声で流れるだけで、
ほとんど情報が得られなかった。
来館者たちを安全な場所に避難させ、
大型バスの迎えが来るまで落ち着いていられるよう配慮しました。
やっと仕事を終え、
子供の迎えに帰宅する道は
信号機のライトは消え、
屋根の瓦は崩れ、
塀のブロックや大谷石が崩れ、
墓石は倒れ、
そして続く余震の中、
それらに反し、とても静かだった。
不安がいっぱいで車を運転し帰宅すると、
「まみぃ~!」と、
庭で子供たちがニコニコと迎えてくれた。
「マミィが無事でよかった。」
と末息子は泣きだし、家族みんなで抱き合った。
私は涙でみんなの顔がにじんで見えた。
みんな泣いて、笑っていた。
私は、なんて弱気になってたんだろう。
大切な事が見えなくなっていた・・・。
大変な事があっても、がんばれば何とかなる。
何ともならなかったら、違う方法もある。
何も方法がなかったら、ちょっと脇においてもいい。
ちょっと休んでもいい。
この子供たちの笑顔に囲まれている事を忘れちゃいけない。
ああ、がんばろう・・・。
子供たちの笑顔や、
家族や友人たちの励まし、手助けがあり、
本当に多くの人に支えられ、自分は一人じゃないと思え、
また頑張る力が湧いてきました。
また笑う事が出きました。
大丈夫、何とかなると思えるようになりました。
心は弱い、
けれど、心は強くもあるのですね。
今まで多くの方々に励まし、助けていただきました。
まだまだ再スタートするには先が長いです。
でも、ゆっくりですが前に進む事が出きました。
本当にありがとうございます。
そして、
東北大震災で亡くなった方、
まだ行方不明の方、
心よりご冥福をお祈りします。
いまだに避難生活の方、
復興しようと頑張っている方、
どうか平和と安心が得られる事をお祈りします。
頑張って生きる、幸せに生きる事に
後ろめたさを感じないでください。
幸せに笑顔で生きる事が何よりも
失った方たちへの追悼になるはずです。
今日は、
家族みんなで普通に過ごします。
普通という幸せを味わいます。